世にはマーケティング理論によるカテゴライズが満ちあふれており、何かというとジャンル分けされ、テーマ別に分けられ、勝手に枠の中に入れられる。
それが、本気で苦手。ふと目に止まった本を読んだり、映画を観たり、流れてきた音楽をもっと聴きたくなったり、自分の野生の勘を信じてるから。楽しいもの夢中になれるものは、人から教えられるものじゃないから。
あなたがいくらわたしをカテゴライズしようとしても、わたしはその斜め上をいく存在でいたいwww
されてたまるか。
「わたしを束ねないで」新川和江
わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂
わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽撃き
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音
わたしを注がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮 ふちのない水
わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風
わたしを区切らないで
, や . いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終りのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
sidneyb1020 know R 鷹
記事は不定期更新「大山鳴動」も現在は気まぐれに更新中。 http://sidneyb1020.hateblo.jp/
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